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静岡地方裁判所沼津支部 昭和60年(ワ)329号 判決

原告

X1

原告

外七名

右原告ら八名訴訟代理人弁護士

平 山  一郎

高 槁 治 雄

原告

X2

右原告ら九名訴訟代理人弁護士

野 村   實

被告

栃  木  市

右代表者市長

鈴 木 乙一郎

右訴訟代理人弁護士

野 口 昌一郎

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、別紙物件目録記載の土地・建物につき、真正な登記名義の回復を原因とする原告X3の持分を二四分の九とし、原告X4の持分を二四分の八とし、その余の原告らの持分を各二四分の一とする持分移転の登記手続をせよ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  別紙物件目録記載の土地・建物(以下「本件物件」という。)は、訴外亡A(以下「A」という。)の所有であった。

2  Aは、昭和五九年八月二九日に死亡した。

3  原告らは、別紙相続人関係図記載のとおり、Aの代襲相続人であり、その法定相続分は次のとおりである。

(1) 原告  X1  二四分の一

(2) 同   X3  二四分の九

(3) 同   X5  二四分の一

(4) 同   X2  二四分の一

(5) 同   X6  二四分の一

(6) 同   X7 二四分の一

(7) 同   X8  二四分の一

(8) 同   X9  二四分の一

(9) 同   X4  二四分の八

4  別紙物件目録記載一の土地につき静岡地方法務局熱海出張所昭和五九年一○月五日受付第九八九九号をもって、同目録記載二の建物につき同出張所同日受付第九九○○号をもって、いずれも昭和五九年八月二九日遺贈を原因とする被告のための所有権移転登記(以下「本件登記」という。)が経由されている。

5  よって、原告らは被告に対し、所有権に基づき、更正登記に代えて請求の趣旨記載の登記手続を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実は知らない。

4  同4の事実は認める。

三  抗弁

1  公正証書遺言による遺贈

Aは、昭和五九年八月一三日午後六時三○分ころから午後八時ころまでの間に、栃木県栃木市〈以下省略〉所在の栃木県厚生農業協同組合連合会下都賀総合病院(以下「本件病院」という。)において、宇都宮地方法務局所属公証人B(以下「B公証人」という。)作成昭和五九年第一○九四号遺言公正証書(以下「本件公正証書」という。)による遺言(以下「本件公正証書遺言」という。)をなした。Aは、B公証人の問いに対し、「自己の全財産を栃木市に寄付します。」と自発的かつ明確に答え、本件物件を栃木市に遺贈する旨の遺言をしたもので、本件登記は右遺言に基づいてなされたものである。

2  自筆証書遺言による遺贈

仮に、本件公正証書遺言が無効であるとしても、Aは、昭和五八年五月七日、本件物件を栃木市に遺贈する旨の自筆証書(以下「本件自筆証書」という。)による遺言(以下「本件自筆証書遺言」という。)をなした。

四  抗弁に対する認否、反論及び再抗弁

1  抗弁1の事実のうち、本件公正証書の存在は認めるが、本件公正証書遺言は次の理由により無効である。

(一) Aの意思能力の欠如(再抗弁(一))

(1) Aの、昭和五九年八月一二日から同月二九日に死亡するまでの意識状態は以下のとおりであった。

ア 昭和五九年八月一二日

朝から意識障害が出現し、C医師の往診後、午後四時三○分本件病院に入院した。入院時の症状は、貧血、顔面蒼白、痛覚なし、意識がなく、意識レベルは二○○から三○○(三三九度方式による。以下、同じ。)の昏睡状態であった。

イ 同月一三日

尿素窒素が七五から四○へと脱水状態の改善傾向は認められるが、全身状態は比較的悪く、意識レベルは一○○から二○○程度であった。

ウ 同月一四日

全身状態はやや改善傾向にあり、血液ガス所見では酸素分圧以外はほとんど改善したが、O2をあげてもPO2を得られず、基盤に慢性の気管及び肺機能障害があると考えられる状態であった。意識状態は、呼名反応があったりなかったりで、意識レベルとしては、時に二○から三○で多くは一○○から二○○と考えられ、準昏睡状態であった。

エ 同月一五日

全身状態、意識レベルはほぼ前日と同様であったが、午前一○時ころ一時血圧の低下を伴う意識レベルの低下(レベル三○○)があり、救急措置により回復した。

オ 同月一六日

著明な変化はないが、血圧の上昇傾向が見られ、意識ははっきりせず、何か呼んでいるようであるが呂律緩慢にて聞き取れない状態であった。

カ 同月一七日

心拍数、呼吸数、血圧等の改善傾向が見られ、意識レベルも二から三まで改善した。しかし、昼夜の認識なく、覚醒時は興奮状態で狂言多く、多弁となるも意味内容は不明で聞き取れずという状態であった。これは、全身状態の改善に伴い、脳萎縮による精神症状が出現したためであった。

キ 同月一八日から二九日まで

以後、精神症状、意識障害に著しい変化はなく、同月二○日、開眼中会話するも呂律緩慢にして聞き取れず、同月二四日、開眼中何か会話しているも内容がわからず、全身状態が悪く、意識レベルも一から二で意識がはっきりせず、同月二五日、状態に変化はなく、覚醒しているが何を言っているのか不明であるという状態で推移し、同月二九日、死亡した。

(2) 以上の経過によれば、Aは入院中意識状態の低下及び精神症状の出現により、自己の意思を正確に示すことは困難であったと考えられ、本件公正証書遺言はAの意思無能力の状態でなされたものであり、無効である。

(二) 方式違反(再抗弁(二))

本件公正証書は遺言者であるAの口授に基づかずに作成されているから、本件公正証書遺言は無効である。

2  抗弁2のうち、本件自筆証書が存在することは認める。しかし、本件自筆証書の趣旨は、Aの夫Dの遺産相続が終了しないうちにAが死亡することを停止条件に、被告にAの全財産を遺贈するというにあるところ、Dの遺産相続は、遅くともA死亡の日(昭和五九年八月二九日)より前の昭和五八年七月一五日には完了していたから、右停止条件は不成就に確定した。よって、右遺贈の効力は生じない(再抗弁(三))。

五  再抗弁(一)ないし(三)に対する認否

再抗弁(一)ないし(三)は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因について

1  請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

2  同2の事実は、当事者間に争いがない。

3  〈証拠〉によれば、請求原因3の事実を認めることができる。

4  請求原因4の事実は、当事者間に争いがない。

二抗弁1(公正証書遺言による遺贈)、再抗弁(一)(Aの意思能力の欠如)、再抗弁(二)(方式違反)について

1  〈証拠〉並びに原告X6(以下「原告X6」という。)の本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。

(一)  Aは明治二七年○月○日生まれの女性であったが、原告ら甥、姪とはかねて折り合いが悪く、静岡県熱海市〈以下省略〉に単身居住していたもので、自己の財産を故郷の地方公共団体である被告に残したいと考え、昭和五三年ころから被告の職員と接触を重ね、昭和五八年一○月から昭和五九年二月にかけて自己所有の東京都内の土地二五筆、建物一戸を次々に被告に贈与し、被告からは病院への入院手続や家政婦の派遣などの世話を受けていた。

Aは同年八月七日ころ、被告の当時の財政課長のE(以下「E」という。)に、「自分は身体が随分弱ってきたので『自己の全財産を被告に遺贈する』との内容の遺言状を作成したい。」旨の依頼をし、EがB公証人、証人となるAの知人のF(以下「F」という。)及びG(以下「G」という。)と交渉して、同月一三日の夕刻にAの転居先であった栃木市に所在する増山ハイツの居室で遺言公正証書を作成する段取りをつけた。

(二)  ところが、Aは同月一二日の朝突然意識を失い、午後四時三○分ころ本件病院に入院し、顔面蒼白、血圧が最高で九八、脈拍数が一分間に一二○などの症状を呈し、意識レベルは二○○から三○○(いわゆる三三九度方式による意識状態の分類であり、二○○は痛みの刺激に対し手を少し動かすことができる程度で、三○○は痛みの刺激に対しても全く反応しない状態である。)で、その原因は血液ガス分析の結果等も考慮されて脱水症状による代謝性アシドーシスと診断された。Aに対し、治療として、脱水状態の改善のためにビタミン剤やブドウ糖などの点滴が、アシドーシスの補正のためにメイロンの注入と酸素の吸入が行われ、その結果Aは、翌一三日午前八時ころには問いかけに対し頷くようになり、午後三時ころには補聴器を使用させた上で名前を呼ぶと「はい。」と返答するようになって、午後六時の診察時にも同様の呼名反応がみられた。

(三)  Eは、Aの本件病院への入院を聞いて、同月一二日の夜本件病院に泊り込んでAの看病をしていたが、翌一三日朝予定を変更して遺言公正証書を本件病院で作成することとし、B公証人や証人らに連絡した。同日午後六時ころ医師または看護婦による診療がなされ、その終了後、本件病院の病室で、証人としてF及びGが立会い、Eも同席して、午後八時ころまでかかって本件公正証書が作成された。

(四)  本件公正証書の作成は、同日午後六時過ぎころから始められたが、まずB公証人が証人二名の身分関係等を確認した後、Aの遺言の意思の聞き取りにかかった。B公証人はAに自己の財産の所在やそれをどのように処分するか尋ねたが、Aが具体的に言葉を発しなかったり、Aの声が小さくて聞き取れなかったりしたため、作成手続は難航し、EがAの耳元でB公証人の質問を分かりやすく話したりもしたがAからは明確な意思表明がなかった。B公証人は、公正証書作成を断念しかけたこともあったものの、更に根気よくAに対する聞き取りを続け、中途で、電話のため退席したGを二○分程待つなどしたが、午後七時半ころになって、Aはようやく自分が亡くなったら自己の全財産を栃木市に寄付し、その管理は市長にお願いする旨述べた。そこで、B公証人はその場で口授された遺言の趣旨を、「一、遺言者は自己所有の不動産、預金債権その他一切の財産を栃木市に遺贈する。一、遺言者は本遺言の執行者を栃木市長に指定する。」と記載した遺言公正証書を作成し、Aが署名出来ないと判断したB公証人がAの署名を代行した。

2  〈証拠〉には、本件遺言の証人の一人であるFは、A死亡後の昭和六○年六月一日、原告X6及び原告ら代理人の野村弁護士から本件公正証書の作成状況を尋ねられた際、Aは公証人の問いに対し、頷くだけで具体的な言葉は発しなかった旨答えたと読み取れる記載がある。しかしながら、そもそも、Fが法廷で証人としてした供述の内容には他の証人B、同G及び同Eの各証言内容と食い違う部分もあってその記憶の正確性に疑問が持たれる上に、右〈証拠〉には、Fが原告X6らに対し、「公証人ははっきり(Aの)言葉が入るまで何度も聞いていた、Aは頷いて『よろしくお願いします。』と言ったように思う。」と供述した旨の記載もあり、問答の全部を通じてみるとき、前記の原告X6らの問いに対するAは頷くだけであったとのFの応答は、Fが単に頷くことと具体的に言葉を発することとの厳密な差異を充分認識していない時期に原告らの誘導的な質問に対してした答えにすぎないと解されるから、

〈証拠〉中の右記載は採用できない。

3  証人H(以下「H医師」という。)は、Aの主治医の一人の立場から、Aの同年八月一三日及びその後の症状からして、本件公正証書作成時にAの意識状態が回復して会話をしたとするのは困難である旨供述し(以下「H供述」という。)、〈証拠〉には、Aのもう一人の主治医であったI医師(以下「I医師」という。)が、原告X6及び原告ら代理人の野村弁護士に対し、本件公正証書作成時に、Aが意識があったり会話をしたりしたとは考えられない旨供述した旨の記載がある。I医師の右供述は法廷における宣誓も反対尋問も経ていないもので、一般的にその供述の信用性に疑問の余地があるが、その内容は概ねH供述に沿うものであるから(H供述よりも断定的であるが)、以下H供述を中心にその信用性について検討を加える。

(一)  H医師が、右供述の根拠として挙げるのは、第一に、Aは入院時に前記1(二)の症状を呈していて意識がなく、翌一三日も血圧・呼吸回数・脈拍などのデータからしてアシドーシスの状態は充分には改善されておらず、アシドーシスが完全に補正されない限り意識状態は戻らないのが通常なので、一三日にAの意識状態が回復したとは考えられないという点であり(I医師は、脱水が進んで脳血流が止まり、脳に重大なダメージがあったこととAの年齢からして、回復には相当の時間がかかる筈で一三日に回復したとは考えられないと説明している。)、第二に、H医師は一日に一回は入院患者としてAを回診していたが、Aと意思の疎通のできる会話をしたことは一度もなかったという点である。

(二)  まず、第一の点について検討するが、〈証拠〉によれば、Aの同年八月一三日と一四日の意識レベルはカルテにも看護記録にも記載がないが、Aの入院時の症状は前記1(二)のとおりで、さらに細かくみればBUN(尿素窒素)七五以上(正常値二○以下)、PH(水素イオン濃度)七.二八八(正常値七.四○±○.○四)、二酸化炭素分圧三八.九(正常値四○±五)、酸素分圧四九.二(正常値一○九−○.四三×年齢)などとなっていたが、本件公正証書作成時(同月一三日の午後六時ころから午後八時ころまで)のAの血圧は一一○−七○前後、呼吸回数が二五〜三○、脈拍が一○○前後で、午後六時測定のBUNは四○、クレアチンは○.九(正常範囲)となっていて、入院時に比較すると多少改善されていたこと、更に同月一四日午前一二時の血液ガス分析では、PH七.四四八、二酸化炭素分圧四四.五、酸素分圧五○.四などとなっていて、酸素分圧以外は正常値になったことが認められる。

(三)  ところで、証人J(以下「J医師」という。)の証言によれば、J医師は本件病院の院長で内科医であり、Aを昭和五八年六月ころから何回か診察していて、今回の入院も初めに診察をして治療方針を決めた者であることが認められるが、J医師は、Aの同月一二日の入院時における意識障害の一番の原因は脱水症状と思われること、前記1(二)のAの八月一三日の反応や前記の八月一三日と一四日のBUNや血液ガス分析の結果及び自ら同月一二日及び一四日にAを観察した所見から、同月一三日にはAの脱水症状はかなり改善しているので意識状態もある程度戻っていておかしくないこと、Aのような脱水症状を主な理由とする意識喪失の場合、意識状態の回復には個人差があり、全身状態の改善の程度によっては二四時間後には意識が戻っている例もあること、老人の場合意識レベルに動揺があって意識が明瞭な状態と不明な状態を交互に繰り返すこともあることを供述して、前記のH医師やI医師の見解と対立している。

原告らは、H医師やI医師がAの主治医であったことを理由に、J医師の見解よりもH医師らの見解の方が信用性が高いと主張するが、H医師は本件病院には一年に二○○名位の入院患者がいて、Aは特に記憶に残る患者ではなかったと述べていること、H医師は同年八月一三日の本件公正証書作成直前、直後のAの状態を直接観察していないこと等から、前記の第一の根拠は主として前記の医学的データを参考に、一般的な医学的所見として推認した内容を述べたものと解され(甲第二五号証からは必ずしもはっきりしないが、I医師の場合もH医師と同様に考えられる。)――このデータに基づく一般論を比較するかぎり、H、J両医師の見解の間に矛盾はなく、H医師が臨床経験が短いのに対し、J医師は臨床経験が豊富であることも考慮すると、H医師の証言の信用性がJ医師のそれよりも高いと断ずることはできない。

そうすると、純粋に医学的な見地のみから本件公正証書作成時のAの意識状態を判断することは極めて困難であると言うべきである。

更に、H医師が根拠とする第二の点も、前記のとおりのH医師のAに対する具体的な記憶の薄弱さや、証人J及び同Eの各証言によって認められる、Aが、気難しい老人で、医師の指示に素直に従わず、医師が言葉をかけても返事をしないこともあったこと、AはH医師に対し好感を抱いてはいなかったと窺われること等からすれば、本件公正証書作成時におけるAの意識状態を判定する決め手にはならない。

(四)  なお、〈証拠〉によれば、Aに独語、多弁等の精神症状が出現したのは同年八月一七日頃からと認められ、本件公正証書作成時にAに右のごとき精神症状があったと認むべき証拠はない。

(五)  そうすると、結局のところAの本件公正証書作成時の発言や意識状態については、その場にいた前記B、F、G及びEの各証言の信用性にかかることになるが、前記1(四)として認定の事実経過は、前記1(二)として認定したAの同年八月一三日の反応や前記のJ医師の証言中の老人の意識状態の動揺に関する部分を参酌するとき、特に不自然なところはなく、遺言の内容が前記のとおり概括的で簡明な内容であることも、Aの当時の意識状態からすればごく自然でありうることからして、右Bらの各証言は全体として信用できるものである。

(六)  右(一)ないし(五)の検討結果からすればAの意識状態や発言の有無に関する前記H供述、ひいては甲第二五号証は採用できないといわざるをえない。

4  以上のとおりで、Aは本件公正証書遺言により本件物件を被告に遺贈したと認められ、Aの意思能力の欠如及び公正証書の方式違反をいう原告らの主張を認めることはできない。

三結論

よって、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官秋元隆男 裁判官仲戸川隆人 裁判官杉山愼治)

別紙<省略>

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